青森に伝わるキリスト伝説
聖書によるとゴルゴダの丘(イスラエル)で処刑されたはずのキリストだが、それはキリスト本人ではなく、弟の「イスキリ」が身代わりになっていた。生き延びたキリストは遥か遠くの日本、青森にたどり着き106歳で息を引き取ったという。
アクセス
アクセスは相当悪いです。
八戸駅から車で30~40分。公共交通機関も使えなくはないが、青森の交通をなめてはいけない。レンタカーを借り、車で行くことを強くオススメします。
住所:青森県三戸郡新郷村大字戸来字野月33-1
営業時間:9:00~17:00
資料館入館料:200円 ※資料館は冬季(11月〜3月)は閉館しています。
GoogleMAPリンク
https://maps.app.goo.gl/TAA2TGrj4Dsgqo1aA
公式サイト
http://www.vill.shingo.aomori.jp/sight/sight_main/kankou/sight-christ/
とにかくみてみる
※私は過去に2度行ったことがあるので、画像の季節感が違います。
なぜ青森にキリストの墓があるのか?
すべてのはじまりは、茨城の宗教家である竹内家に伝わる古文書「竹内文書」が公開されたこと。
竹内文書は偽書だと断定されていますが、こじつけるとそれっぽい説明ができる。
1,ここ「新郷村」の旧名である「戸来(へらい)村」が、ヘブライと似ている。
ヘブライとは古代イスラエルの文化や民族や言語全体を指す言葉で、「へらい」は「ヘブライ」が由来だという。
2,この村の旧家の家紋が、ユダヤのシンボルの六芒星と酷似していること
この土地を代々管理していた沢口家のお墓が敷地内にあり、
その星型のような家紋、がダビデの星と呼ばれる六芒星が由来になっていると言われている。
ちなみに、写真を撮っている私の背中側にキリストの墓があり、キリストの墓の近くに日本の普通のお墓があるのは少しシュール。
イスラエルから、友好の証としての石が贈られている。あくまで友好の証である。
おでこに十字を描く風習も?
この村では、赤子を初めて外に出すときに、おでこに十字を描く風習もあったとか。
結論
竹内文書は偽書認定されているため、この話に乗っかって観光資源をつくろうと、当時の村長が知恵を絞ったと考えるのが妥当
メモ
ちょっと記事っぽい感じにしようとがんばったけど疲れたので終わり。もうちょっと慣れたらちゃんとするかどうか決める
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